日本酒の「おいしい」を超えて。WSET SAKE Experienceイベントレポート

本記事は、WSET Global公式ブログの「WSET SAKE Experience – Taste, Learn, Connect: Event Report」の日本語版です。


「おいしい」を超えて。
120名の参加者とともに学んだ一日

執筆者
菊谷 なつき
WSET本部 日本酒講座責任者

2026年8月30日(日)、東京・南青山のキャプランワインアカデミーにて、日本酒に特化した初のイベント「WSET SAKE Experience – Taste, Learn, Connect」を開催しました。


当初は80名定員で企画していた本イベントですが、多くのお申し込みを受け、定員を120名まで拡大しました。それでもなお、すべての席が埋まる盛況となりました。会場には、WSET日本酒プログラムに興味を持つ方々をはじめ、飲食業界のプロフェッショナル、日本酒を愛する愛好家など、多様な参加者が集いました。


このイベントで私たちが目指したことはシンプルでした。日本酒を体系的に学ぶ価値について説明するのではなく、実際にテイスティングし、人と語り合い、つながることで、その価値を体感していただきたい。その考えのもと、プログラムは3つのセッションで構成されました。

WSET SAKE Experience~日本酒を「学び、味わい、つながる」特別イベント~
WSET SAKE Experience~日本酒を「学び、味わい、つながる」特別イベント~
WSET×キャプランワインアカデミー

オープニング

会場にはあらかじめISOテイスティンググラスが各席にセットされ、セミナー形式で着席できるレイアウトが整えられていました。イベントは、キャプランワインアカデミー長である中村英司氏による開会の挨拶で幕を開けました。

パネルディスカッション

「造り手」「伝え手」「教育者」が語る日本酒の価値

開会に続いて、日本酒業界を代表する3名を迎え、パネルディスカッションを開催しました。

ご登壇いただいたのは、470年にわたり受け継がれてきた冨田酒造の歴史を担う十五代目蔵元・杜氏の冨田泰伸氏、世界を舞台にワインと日本酒の双方を伝えるソムリエの大越基裕氏、そして長年にわたり海外へ日本酒を紹介してきたWSET認定日本酒講師のクリストファー・ヒューズ氏です。モデレーターは私が務めました。

テーマは、「今、日本酒を学ぶ価値とは何か。世界的な視点から広がる日本酒の可能性と、その知識をどのように活かしていくのか」です。

造り手、伝え手、教育者という異なる立場から活動する3名が向き合ったのは、共通の問いでした。

「『おいしい』だけでは表現しきれない日本酒の魅力を、どのように言葉にするのか」。

この問いは日本では非常に重要な意味を持っています。近代以降、日本酒は長らく「甘口か辛口か」という一つの軸で語られてきました。しかし、その単純な表現だけでは、グラスの中で実際に起きている複雑な味わいや個性を十分に伝えることはできません。


また、日本酒の評価文化もこうした傾向を後押ししてきました。例えば全国新酒鑑評会では、歴史的に欠点の有無を重視して評価が行われてきました。いわば「減点項目を確認する」ことを中心とした評価手法であり、優れた点を積極的に表現するというよりも、問題点を見極めることに重点が置かれていました。


もちろん、その手法自体には意義があります。しかし、その結果としてテイスティングコメントは均質化し、技術的には正確であっても、日本酒そのものの個性や、それを表現する人自身の視点が見えにくくなってしまうことがあります。だからこそ、この日のパネルで投げかけられた問いは非常に重要でした。


それは「甘口か辛口か」ではなく、「より豊かで、人に伝わる言葉とはどのようなものなのか」という問いだったのです。私はまず、このテーマについて3名に質問しました。造り手として、伝え手として、教育者として、それぞれは「おいしい」だけでは表現できない魅力をどのように言葉にしているのか。


冨田氏が最初に語ったのは、「地」の存在でした。酒造りの根幹にある米と水、そして土地との結びつきです。

海外のバイヤーに日本酒を紹介する際、冨田氏は単に味わいの説明だけを行うのではありません。例えば琵琶湖の湖魚を使った郷土料理など、その地域に根付いた食文化を写真で紹介します。そうすることで、なぜ自らの酒が華やかな香りではなく、米由来の旨味を重視しているのかが自然と理解されるといいます。

さらに印象的だったのは、蔵の内部で行われているコミュニケーションについてのお話でした。異なる経験や背景を持つ蔵人たちが共に働くなかで、すべてのタンクの酒をチーム全員でテイスティングし、意見交換を行っているそうです。例えば「キレがある(clean finish)」のようなシンプルな表現でさえ、その意味を一つひとつ確認し、全員で共通認識を築いていくのだそうです。


このように共通の語彙を育んでいく取り組みが、酒蔵として目指す酒質の共通理解を形成するだけでなく、日本酒そのものの品質向上にもつながっています。また、顧客に対しても一貫した言葉で酒の魅力を伝えられるようになるとのことで、この話には多くの参加者が深くうなずいていました。

続いて大越氏は、ワインと日本酒を評価する際の違いと共通点について語りました。両者は構造として異なるものの、香りの評価やテクスチャー(質感)の表現については共通する部分も多いと指摘します。

多くの人が頼りがちな「甘口・辛口」という枠組みの限界についても率直に言及しました。すべての日本酒を一本の甘辛の物差しの上で捉えようとすれば、どれほど受賞歴のある日本酒であっても、最終的には似たような説明になってしまう。それが現在の日本酒表現が画一的になりがちな理由の一つではないかと語りました。


一方で、感覚的で個人的な表現の扱いにも触れました。例えば、「祖母のタンスの引き出しの匂い」という表現は、その記憶を共有していない人には伝わりません。日本酒がビジネスの現場で扱われる以上、そのような個人的な印象を国や文化を超えて理解できる言葉へ置き換えることが重要だと指摘しました。


さらに、大越氏はワインと日本酒の品質評価基準の違いについても説明しました。ワインで高品質の指標とされることの多い「凝縮感」や「長い余韻」は、日本酒にそのまま当てはめられるわけではありません。ワインと日本酒の両方を深く理解しているからこそ示すことのできる視点でした。


また、「蒸した米(steamed rice)」という表現を、海外の人々にも直感的に伝わる日本酒の香りの描写として紹介した例は、会場でも特に印象に残る発言の一つとなりました。

ヒューズ氏は、ディスカッションを通じて一つの考えを繰り返し伝えていました。それは、「WSETのSAT(Systematic Approach to Tasting)は目的地ではなく、あくまで道具である」ということです。

特に印象的だったのは、「一つの蔵元だけで世界中のすべての市場にリーチすることはできない」という指摘でした。だからこそ、世界各地のソムリエや酒類業界の専門家が、消費者に向けて日本酒を説明する際に、共通した一貫性のある言葉を持つことが重要なのだと語りました。

また、実践的な例も紹介しました。例えば「ricey(米らしい)」という表現が相手に伝わりにくい場合には、小麦やトウモロコシといった他の穀物、リゾットのような料理、マシュマロを思わせる香り、あるいは「chewy(噛み応えのある)」「soft(やわらかい)」「rounded(丸みのある)」といったテクスチャーを表す言葉を用いることがあるそうです。こうした小さな言い換えが、伝えたい内容をどれだけ明確に相手へ届けられるかに大きな違いを生むのだと説明していました。

会場からの質問のなかでも特に印象的だったのが、「表現力や語彙を磨きたい人には、どのような練習をするとよいか」という質問です。3名の回答は、それぞれ実に異なるものでした。

ヒューズ氏は、自身がよく使う表現をまとめた「チートシート」を常に更新していると話しました。大越氏はアロマホイールを使い、大まかなカテゴリーから徐々に具体的な香りへと絞り込んでいく方法を用いていると説明しました。一方で冨田氏は、酒蔵での日々の取り組みについて語りました。何十種類もの日本酒を順番にテイスティングし、その場で共通語彙の中から最も適切な言葉を選び出して書き留めるというのです。

三者三様の方法ではありますが、そこで培われる力は共通しています。いずれも、繰り返しの実践によって語彙を磨いていく取り組みでした。

最後にヒューズ氏は、今日の体験がより体系的な学びへの第一歩となることを願っていると語り、セッションを締めくくりました。わずか25分間のセッションでしたが、参加者とのやり取りは終始途切れることなく続きました。会場の熱気もあって、実際よりもずっと短く感じられる25分間でした。

日本酒テイスティング体験

WSETの学びを体験する

パネルディスカッションに続いて、日本酒のテイスティングセッションを実施しました。このセッションでは、WSETのSystematic Approach to Tasting(SAT)を用いながら、3種類の日本酒を比較テイスティングしていただきました。


この手法は、初めて日本酒を学ぶ方でも取り組みやすいよう設計されたテイスティング手法です。短い時間ではありましたが、参加者の皆さまにとって、味わいを言葉で表現する楽しさを、まさに文字どおり“味わう”機会となりました。


パネルディスカッションで語られたテーマを実際に体験する機会でもありました。言い換えれば、参加者一人ひとりが「共有できる言葉」を使って日本酒を表現することを、自ら試してみる場となったのです。

懇親会

同じ日本酒を、それぞれの言葉で語り合う

テイスティングセッション終了後は、レセプションへと移りました。会場では、七本鎗、而今、森嶋、黒龍、磯自慢、醸し人九平次をはじめとする40種類以上の厳選された日本酒が、軽食とともに提供されました。


会場のあちこちで、WSETのイベントに初めて参加した方々と、酒類業界のベテランたちが、肩書きを超えて自然に会話を交わしていました。私たちにとって、資格取得への関心と同じくらい大切だったのは、日本酒への共通の興味をきっかけに、業界や立場を越えたつながりが生まれることでした。そして、それこそが私たちが目指していたことでもあります。


パネルディスカッションで語られた「共有できる言葉」という考え方は、このレセプションの場でもごく自然な形で表れているように感じました。参加者同士が交わす一つひとつの会話のなかで、同じ日本酒について、それぞれの言葉で語り合う姿が印象的でした。

アンケート結果から見えたこと

イベント終了後、参加者アンケートを実施したところ、120名の参加者のうち34名から回答をいただきました。回答率は28.3%でした。


まず注目すべきだったのは満足度です。回答者の97.1%が、本イベントについて「大変満足」または「満足」と回答しました。「特に印象に残ったプログラム」について尋ねたところ、最も多かったのはテイスティングセッションで32.4%でした。これに続いて、パネルディスカッション(26.5%)、レセプション(26.5%)が並びました。この結果からは、参加者が講義を聞くだけでなく、実際に体験する機会にも同じくらい価値を感じていたことがうかがえます。また、レセプションについても、「参加してよかった」と評価した回答者が85.3%に達し、交流の場として高く評価されていたことが分かりました。


参加動機として最も多かったのは、日本酒そのものへの関心(58.8%)でした。続いて、WSET日本酒プログラムへの興味(44.1%)、パネリストへの関心(35.3%)が挙げられました。イベントを知ったきっかけとしては、キャプランからのメールが44.1%で最も多く、SNS(32.4%)、口コミ(23.5%)がこれに続きました。


学習面に関する設問では、79.4%の回答者が「日本酒への理解が深まった」と回答しました。そして、私たちにとって最も重要な項目であるWSET日本酒プログラムへの関心についても、非常に前向きな結果が得られました。「ぜひ受講したい」と「受講を真剣に検討している」を合わせると52.9%に達し、何らかの関心を示した回答者全体では85.3%となりました。単日のイベントとしては、非常に前向きな結果となりました。


特に関心が高かったのは、座学と酒蔵見学を組み合わせたコースで、回答者の50.0%が興味を示しました。この結果からは、理論だけでなく、実際の体験を伴う学びに対するニーズの高さもうかがえます。一方で、受講を検討する上での主な懸念点として挙げられたのは、日程の調整が難しいこと(32.4%)と、Level 3における英語要件への不安(29.4%)でした。これらは、今後の講座設計や情報発信を検討するうえで、貴重な示唆となりました。


自由記述欄では、いくつかのテーマが繰り返し挙げられていました。なかでも多く見られたのは、WSETのSAT(Systematic Approach to Tasting)を実際に体験できたこと、味わいや香りを他者に伝わる言葉で表現する方法を学べたこと、そしてSATとJSAやSSIなどの評価手法との違いを理解できたことへの評価でした。また、パネルディスカッションで共有された、現場で培われた実践的な知見についても、多くの好意的なコメントが寄せられました。


今後参加してみたい企画としては、酒蔵関係者によるセミナー(55.9%)が最も多く、続いて日本酒テイスティングセッション(50.0%)が挙げられました。参加者の声は、今後どのような学びの機会を提供していくべきかを示す、明確なヒントとなっています。

イベントを終えて

今回の参加者を振り返ると、およそ半数がWSET日本酒コースをこれまで受講したことのない方々でした。また、受講経験のある方々についても、飲食業界のプロフェッショナルから、日本酒を趣味として楽しむ異業種の方まで、実に幅広い顔ぶれが集まっていました。


なかでも私が強く印象に残ったのは、資格取得そのものを目的とするだけではなく、「日本酒」という共通のキーワードに引き寄せられ、人とのつながりを求めて参加している方が非常に多かったことです。学びのその先にあるコミュニティの価値を、これほど明確に感じたことはあまりありません。


WSETのコースが提供するものは、テイスティングのための語彙だけではありません。学ぶ過程で出会う人々とのつながりもまた、その大切な価値の一つです。そして、そのネットワークこそが、共通言語と同じように、日本酒をより深く、より長く楽しみ続けるための支えになるのだと思います。


イベント翌日の朝には、参加者向け特別割引を利用した講座のお申し込みもすでにいただいていました。これは、WSETの教育が持つ価値が参加者の皆さまにしっかり伝わったことを示す結果だったと感じています。


言葉と人とのつながりを、これほど直接的に実感できる場は、日本だけにとどめておくべきものではないでしょう。同様のニーズは世界各地の市場にも存在するのではないかと感じています。今回のような規模のイベントを頻繁に開催することは容易ではありません。しかし私たちは、日本酒を学ぶ価値を、より多くの場所へ、より多様な形で、そしてより多くの国へ届けていきたいと考えています。すでに次回開催も視野に入れながら、これからもWSETとともに、一つひとつの機会を大切にしながら日本酒の可能性を広げていきたいと考えています。


最後に、本イベントにご登壇いただいた冨田泰伸氏、大越基裕氏、クリストファー・ヒューズ氏、開会のご挨拶をいただいた中村英司氏、そしてご参加くださったすべての皆さまに、心より感謝申し上げます。

日本酒をもっと深く学びたい方へ

日本酒を「おいしい」だけで終わらせず、
その魅力を世界中の人と共有できる言葉で伝えること。

WSET日本酒プログラムでは、
体系的な知識とテイスティングスキルを通じて、
そのための共通言語を学びます。

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