ワインコラム
ボルドープリムールは本当に崩壊してしまうのか(後編)

2026年8月14日
【コラム著者】竹村 栄司 DipWSET
前編ではシャトー・ラトゥールのプリムール離脱から、2024ヴィンテージの販売不振までの一連の流れをお話した。一部のシャトーがプリムール本来の目的を見失い、価格を吊り上げることに執着してしまった結果、市場におけるプリムールの信頼は地に落ちてしまった。
目に見えるかたちで表れた販売戦略の失敗。
後編では、これからプリムールは復活することができるのかどうかを考えていく。
前編を読み終えた方には、この状況はまさにシャトー自身が招いたことであり、「自業自得」「因果応報」であると映るかもしれない。だが現実は少し違う。シャトーはまだ、自分たちの行いの報いを受けていないからだ。
では誰が直接的な被害を受けているのか。それが中間業者であるネゴシアンだ。
- 文章中の画像はボルドー現地の雰囲気をお伝えするためのもので本文の内容とは直接関連していません。
ネゴシアンビジネスの本質とは
これを理解するには、シャトーとネゴシアンの「腐れ縁」とも言える関係性と、ネゴシアンビジネスの本質についてもお話ししないといけない。
前編でも触れたように、プリムールの割当は前年までの実績で決まる。これはインポーターなどのバイヤーに対してだけでなく、ネゴシアンについても言える。各ネゴシアンも「好きなシャトーを好きなだけ」買えるわけではなく、これまで築き上げてきたシャトーとの関係性が大きく左右する。あるシャトーのワインを100以上のネゴシアンが取り扱っている一方で、別のシャトーのワインを5社が独占的に取り扱っている…といった具合だ。
そして、この関係性は決して対等な関係ではない。
プリムールは本来シャトーの救済措置の役割を担っていたため、1970年代まではどちらかといえばネゴシアンの立場が強かった。それが1980年代~2000年代のいわゆる「パーカー時代」を経て、高級ボルドーワインへの需要が一気に高まったことで、立場が逆転した。ネゴシアンにとって、市場が常に求める高級ワインの割当はまさに金のなる木であり、絶対に失いたくない既得権益となった。たとえシャトーの方針が気に入らなくても割当のためには言うことを聞かなければならない…そんな関係性になってしまった。
もう一つ、彼らがワインを買い続けた理由がある。それが「リリース後の価格はプリムール価格を下回らない」原則だ。
あるシャトーの現在の市場価格(市場ですでに流通している少し前のヴィンテージ)が100ユーロで、今年のプリムール価格が95ユーロだったとする。ちなみに、プリムールに対してすでに在庫があり市場で流通しているワインの取引はリヴラブル(Livrable)という。前編でお話した通り、95ユーロでは市場価格と大差ないため、インポーターやショップのバイヤーたちはプリムールをスキップしてリヴラブルを選択する可能性がある。
しかしネゴシアンたちは買う。なぜなら彼らは未来を見ているからだ。今年95ユーロのプリムールが実際にリリースされる2年後にリヴラブルはどうなっているか。ヴィンテージ評価が良ければ、リリースされる頃には120ユーロくらいになっているかもしれない。そうなれば、プリムールで売れなかったとしても2年後にはむしろ25ユーロも高く売ることができる。一時点の価格だけでなく、将来性も見ているのだ。
もちろんこの判断にはリスクが伴う。しかし、ボルドーワインが10年、20年という長期間の熟成に耐えることができ、いつかは高値で売れる前提がある限り、プリムールで購入することは間違いなくプラスなのだ。
実は、ネゴシアンの利益の多くは、この「熟成によって生まれるプレミアム」からきている。この事実は、90年代のプリムール価格と、現在リヴラブルで買える90年代のワインの価格を見比べてもらえれば一目瞭然だろう。これこそがネゴシアンビジネスの本質だ。
だれがリスクを抱えてるのか
遠回りをしてしまったが、ではなぜ価格高騰と販売不振がシャトーではなくネゴシアンの損失につながっているのかを説明しよう。
上述した通り、ネゴシアンは将来を見越してプリムールでワインを買っている。つまり、リリースされる2年後に、ワインの値段が今よりも上がっていることを期待しているわけだ。
では、2年後に、期待していたほど値段が上がらなかったらどうなるだろうか?
プリムールで95ユーロだったワインが、リリース後も当時の市場価格と同じ100ユーロにしか上がらなかった場合を考えよう。
まず、このヴィンテージがリヴラブルの中で最も若いヴィンテージであることから、熟成によるプレミアムはゼロで、今買われる理由にはならない。マーケットにとってはそこまで魅力ないワインだ。
ネゴシアンの立場から見ても魅力が少ない。なぜなら他の古いヴィンテージに比べて原価が高く、儲けが少ないからだ。
このように、プリムールからリリースの間に市場価格が上がらなかった場合、誰にとっても魅力のないワインが大量に在庫されてしまう。
しかもこれが何年も続いたらどうなるだろうか。ネゴシアンの倉庫には、少なくとも向こう数年は売れないであろう高級ワインが大量にストックされている。しかも全て支払済で、すでに2年間も会社の財務状況を圧迫している。
これが、今回のプリムール危機で現実に起きたことだ。在庫を抱えて経営難に陥ったのは、シャトーではなく、未来の値上がりを期待して大量にワインをストックしていたネゴシアンだった。
さらにもう一つ悪いことが重なる。フランスで金利が高騰したのだ。2021年までゼロ金利だったのが、2022年、2023年になんと最大4.5%まで上昇した。薄利多売のネゴシアン業においては致命的な状況だったのだ。
禁断のディスカウント
こうした状況の中、一部のネゴシアンが最悪の手を使ってしまう。それがプリムールのディスカウントだ。
プリムール販売には暗黙のルールがある。同じワインを同じタイミングで販売する性質上、各ネゴシアンの販売価格は事前に決められており、それを変えることはできない。万が一ディスカウントが発覚すれば、そのネゴシアンへの今後の割当は約束されない。
しかし先述したように、売れない在庫と高金利のダブルパンチを受けて、ネゴシアンの経営状況ももはや限界となった。背に腹は代えられない。そう考えた一部のネゴシアンが、在庫ワインの大幅ディスカウントで当座の運転資金を調達しようと動いた。一部のワインについては、プリムール価格よりも安いほどだった。そしてそれだけでは足りず、ついにプリムール価格のディスカウントに手を出してしまったのだ。
もちろん交渉は水面下で行われた。しかし噂はすぐに広まる。結果彼らの「掟破り」は関係者の間に知れ渡り、いよいよプリムールの信頼も地に堕ちてしまった。
さらに悪いことに、だれかが一度価格を崩してしまうと、それは雪崩のように市場価格全体に影響する。プリムールはもはや「最安値保証」ではなくなった。バイヤーたちはこぞって在庫処分セールに飛びつき、健全な商売をしていたネゴシアンたちが今度は販売不振に陥り、否が応でもディスカウントせざるをえなくなる。まさに負の連鎖が起きてしまったのだ。
プリムールは復活できるのか
さて、ここまででプリムールの悲惨な現状をお伝えした。
いったいプリムールはこれからどうなるのであろうか。最後にその考察をして本稿を結びたい。
プリムールはその名前の通り、将来への期待を込めた先物取引であり、だからこそ信頼は絶対的に不可欠なものだ。その信頼を失ってしまった以上、簡単に回復できるとは思えない。
だが私はあくまでポジティブに考えたい。
ネゴシアンの危機的状況は、当然シャトーにとっても対岸の火事ではない。多くのシャトーが適切な対応を迫られている。
すぐにプリムール価格を下げるのはリスクが大きい。プリムール価格を下げすぎれば市場価格も連動して下落し、ネゴシアンや市場が抱える大量のストックが不良在庫になりかねないからだ。だから時間をかける必要がある。プリムールが本来の役割を取り戻し、バイヤーたちにとって魅力的なオファーとなるように努めなければならない。
そしてそれ以上に大切なことは、ワイン消費の現場でボルドーワインが魅力的であり続けることだ。若い世代の多くが、権威や伝統ではなく、自らの感性で商品を選んでいる。ボルドーは、その歴史と名声にあぐらをかくのではなく、他の国や産地と同じ土俵で自らの魅力をアピールし、選ばれる努力をしなければならない。プリムールはそのための舞台装置であるべきであり、逆に言えば、その足かせになるようであれば無くなっても構わないだろう。
ボルドーが生き残れるかどうか、これからも注目して見ていただきたい。
長文となりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
本コラムの読者の多くは、ワイン業界の関係者かワイン学習者だと思います。より深くボルドーワイン、プリムールについて理解したい方は、8月31日にDiploma Study Sessionでオンラインセミナーを行いますので、ぜひご参加ください。