ワインコラム
ボルドープリムールは本当に崩壊してしまうのか(前編)

2026年8月7日
【コラム著者】竹村 栄司 DipWSET
プリムールはボルドーのワインビジネスの根幹を成すものだ。
そのプリムールに、今崩壊の危機が迫っている。
ボルドーで何が起きたのか。そして今どうなっているのかを見ていきたい。
- 文章中の画像はボルドー現地の雰囲気をお伝えするためのもので本文の内容とは直接関連していません。
プリムールとは
プリムール(En Primeur)はワインの先物取引や新酒のことを指す言葉で、ボルドーにおいてはリリース前の熟成段階のワインを売買する取引形態のことを指す。
長い歴史があるが、現在の形は1950年代、戦後の経営危機に直面していたシャトーにネゴシアンが手を差し伸べたことで完成した。シャトー、ネゴシアン、そして間を取り持つクルティエの三者の強固な関係はそれ以降続いてきた。
ラトゥールの離脱
そこに風穴を開けたのが2012年にプリムールを離脱したシャトー・ラトゥールだった。
ラトゥールは実業家フランソワ・ピノー率いるアルテミス社の傘下にあり、財政面での心配が全くない。「飲み頃になるまで熟成してからリリースするべきだ」というのが離脱の理由であったが、それは決して一般論としてのプリムールシステムへの批判ではなく、彼ら固有の事情によると捉えたほうがいいだろう。
それでも、絶対的と思われたプリムールシステムからのトップシャトーの離脱が、多くの市場関係者に衝撃を与えたのは間違いない。
一番影響を受けたのは、毎年数千ケースのラトゥールを販売し大きな売り上げにしていたネゴシアンたちだった。一部のネゴシアンが「今後ラトゥールは買わない!」と対決姿勢を見せたものの、そのブランド価値と市場での圧倒的な人気を前に、最終的には軍門に下るしかなかった。
結局ラトゥールは、離脱以降も市場での輝きを保ったまま、プリムールの相場よりもずっと高い値付けで熟成したヴィンテージを販売することに成功している。
さて、ラトゥール離脱が引き金になったのかどうかは定かではないが、この頃から関係者の間でとある議論がされるようになる。
「プリムールは本当に必要なのか?」と。

シャトーの思い上がりと代償
プリムールの本来の意義はこうだ。
「先にお金を払ってくれたらワイン安くしとくよ」
ブドウの収穫からリリースまでおよそ2年かかるボルドーワインにとって、プリムールは資金繰りをよくしてくれる重要な販売方法だ。
ワインを試飲することなく1年半も早くお金を払ってくれる買い手に対して相応のメリットを提供するのは当然であり、最終的な市場価格よりもずっと安い価格設定をするのがプリムールの基本だ。
買い手からすれば、プリムールで購入したワインを現金化できるのは2年も先。それでもプリムールで購入するのは、需要の高い希少なワインを、市場の相場よりも安く調達できるために他ならない。
これらがプリムールでワインを買う大きなメリットだ。
ところが、年々高まる高級ワインの需要に乗じて、シャトーたちはプリムール価格をどんどん上げるようになった。
特に2005、2009、2010年はいわゆるグレートヴィンテージと高く評価された。市場価格も右肩上がり。これを商機と見た一部のシャトーが、前年より30~50%の値上げというとんでもない価格設定をするようになったのだ。
それでも、市場価格を十分に下回っていればプリムールのメリットはある。例えば市場で100ユーロ前後の銘柄をプリムールで60ユーロで買えるなら、多くのバイヤーは魅力を感じて購入するだろう。
しかし彼らは、あろうことか市場価格を基準にプリムール価格を設定するようになった。先ほどの例で言えば、前年のプリムール価格が60ユーロだったにも関わらず、市場価格に近い95ユーロに設定したのだ。
需要に応じて値段を上げるのは合理的と思われるかもしれない。しかしこれは直接取引ではなく、中間業者がいることを忘れてはならない。
中間業者にとって、2年後に売れる95ユーロのワインよりも、今すぐ売れる100ユーロのワインのほうがよほど魅力的だ。特に日本に関して言えばここ数年の為替変動は激しく5%は誤差でしかない。
「本当にプリムールで買う必要があるのだろうか?」
「結局、今市場にあるワインを買ったほうが商売として正しいのではないか?」
多くの市場関係者がそう思うようになっていた。
それでも、だ。
これだけ価格が上がっても買い手はついた。
人気のシャトーについては「プリムールでしか手に入らない」印象が強く、価格も常に上昇傾向なので、買えるときに買う判断は決して間違いではないからだ。
またプリムールは割当制で、一度購入を断ると、翌年の割当が減らされたり、最悪ゼロにされてしまう。だから一定量買い続ける必要があった。
こうしてシャトーは財政的な余裕を得ることができた。
プリムールはシャトーが最もコントロールしやすい取引だ。結果的に市場価格も押し上げることができ、ホクホクだった。
しかしこれが大きな間違いであったことに、後々気付かされることになる。

ボルドー離れ
さらにシャトーを増長させたのが2020年に始まった世界的なパンデミックだ。当初は「ワインが売れなくなるのでは」と不安な声も多く、実際2019ヴィンテージのプリムール価格は前年と比べて30%ほど下がった。ところがふたを開けてみれば、世界的な巣ごもり需要の増加によりむしろ高級ワインは飛ぶように売れたのだ。安堵したシャトーたちは2020ヴィンテージで再び価格を戻した。
しかしパンデミックが終わり、消費者たちは目を覚ました。
ボルドー、高すぎるじゃないか?と。
もともとパンデミック前から、長期熟成を前提にしたタニックな赤ワインは若者たちの嗜好とライフスタイルに合わないと言われてきた。決して需要が爆上がりしたわけではなかったのだ。
にも関わらず、シャトーは価格を上げ続けた。
二次市場で価格が上がったから。
自社ワインの市場価値を高めたいから。
値段を上げても買い手がつくから。
そんな理由で値上げをしてきたのだ。
そしてついに、ボルドーの【崩壊】が始まる。

負の連鎖
最初のきっかけは2022ヴィンテージのプリムールだった。
厳しい生育環境だった21ヴィンテージに対し、恵まれた天候になった22年。シャトーたちは喜んで10~20%程度の値上げをしたが、彼らの目論見とは裏腹に全く売れなかった。
この時すでにパンデミックの熱も冷め、2018~2020の3連続グレートヴィンテージの在庫がいまだ市場に溢れていたためだ。
続く2023ヴィンテージ。負の連鎖は続いた。
2022の反省もあり10~30%程度の値下げを行ったシャトーも多かったが、売れたのはごく一部の人気シャトーだけだった。
日本では、円安の影響が大きかった。前年時点で145ユーロ/円だった円が、165ユーロ/円まで安くなってしまったのだ。現地の蔵出価格が下がっても為替がこれでは意味がない。
2024ヴィンテージ。ついにプリムールの失墜が決定的となる。
厳しい天候となった24年は、前評判が良くなかったためか、4月のテイスティングに来るバイヤーの数がだいぶ少ない印象だった。嫌な予感は的中し、注文はめっきり減ってしまった。
そしてとどめの一撃となったのが、アメリカの関税問題だ。
これでアメリカからの注文はほぼゼロとなってしまった。
この間、多くのネゴシアンが財政難に陥り、いくつかは破綻してしまった。プリムールの場合、ネゴシアンがいったん買い取ってから、その先の買い手に販売をする。ネゴシアンもある程度ストックが必要なのでプリムールで売れる以上の仕入れをするのが基本だが、あまりにもプリムールで売れない年が続いたため、とうとう破綻してしまったのだ。

信頼は回復できるのか?
自分たちの利益を優先したシャトーの驕りによって、プリムールシステムへの信頼はすっかり落ちてしまった。
それでも、まだ回復する見込みは十分にある。
本来のプリムールの意義に立ち返り適正価格に戻していけば、時間はかかるが信頼を取り戻すことはできるはずだ。
しかし実際はそう簡単には行かない。
それはなぜか?
一つは市場価格、市場在庫との関係性。
そしてもう一つは窮地に陥ったネゴシアンたちがしてしまった「大きな過ち」だ。
これらについては後編で詳しく見ていく。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それではまた。